東和電気工事株式会社は、1973年に創業し、
2023年5月をもちまして創業50周年という大きな節目を迎えることが出来ました。
「お客様と真摯に向き合い、
丁寧にそして良いものをお渡しする。」
創業より変わらぬ想いのままに、これからも『きれいな水と空気を未来に届ける』ために、
社会インフラを守り、地域発展に貢献してまいります。
東和電気工事株式会社は、1973年に創業し、
2023年5月をもちまして創業50周年という大きな節目を迎えることが出来ました。
「お客様と真摯に向き合い、
丁寧にそして良いものをお渡しする。」
創業より変わらぬ想いのままに、
これからも『きれいな水と空気を未来に届ける』ために、
社会インフラを守り、地域発展に貢献してまいります。
50周年ロゴについて
『水をきれいにする電気工事』をもとに、やわらかな流線形の書体には、
「水の循環」「お客様・地域住民の皆様との繋がり」をイメージし、
50周年を迎えこれからの更なる飛躍の願いをこめて、飛び跳ねる水のモチーフを入れました。
また、末永く繁栄していくようにという想いをこめて「50」の数字に「∞」をいれています。
代表挨拶
先代社長 三和 六良
50周年を迎えて
東和電気工事株式会社はおかげさまで2023年に50周年を迎えました。奇しくも、今年はラグビーワールドカップイヤーです。驚きの2015年、熱狂の2019年、そして2023年フランス大会開催の年に弊社は50歳の誕生日を迎えます。ラグビーの起源が実は1823年とされるところにも不思議な縁を感じます。ラグビーの日本代表やリーグワン所属のチームは出自の異なった人達で構成され、「多様性」に満ち溢れていると思います。個性の尊重、他者への敬意、自己主張より自己犠牲を重視する等々見習いたいことばかりです。
実は私、神戸で震災が起こるまでラグビープレイヤーでした。そんな私が大切にしている言葉があります。
「One more push! You will succeed.」
学生時代の恩師がフォワードをやっていた私に卒業の際にかけてくれた言葉です。人生の節目で迷っていると恩師の言葉と共に「押せ! もっと押せ! もう一度!」と叫ぶ仲間の声を思い出します。その声に勇気付けられ、一歩また一歩と前進してきたような気がします。
100年企業を目指す我社にエールを送ります!
もう一度押せ!! もっと頑張れ!! 東和電気工事
代表取締役 三和 敬典
先代社長 三和 六良
未来への展望
「まさか」が毎日のように報道され、現実が想像の先を行ってしまうことに順応せざるを得ない時代になりました。そんな中で、時代の潮流は私たちが係り続けてきた「水」に似ており、求められる周りの環境に合わせて変化する「水の如し」柔軟な対応は、私たちが大切にしてきたポリシーでもあります。100年を目指す企業である以上、次の50年を考えると今と比べ物にならないくらい大きな変化があり、その変化に毎回上手く対応していくことができる企業になっていく必要があります。今のままではまだまだ足りない。
今、子供たちはどんなふうに地球を描くのでしょうか。子の世代、そしてその子の世代にも海は青く森は緑に描いて欲しい。
新たな次の50年に向けて、「青い海と緑の森」を守る企業でありたい。そう考えています。
私たちは「水の如く」絶えず変化し、皆様にとってなくてはならない企業であるために努力を惜しまず邁進してまいります。
完成工事高推移
東和電気工事の始まり(以下、敬称略)
記念すべき受注工事第一号は赤穂市内浄水場の工事でした。株式会社東芝の代理店からご発注いただいたものでした。その後も同社の系列会社から同様の引き合いをいただき仕事をさせていただきました。「公共工事」、「水処理」、「東芝」この3つのキーワードで事業が始まり、いろんなご縁や幸運に恵まれて、弊社の方向性が決まっていきました。 同年9月には東芝太子工場内のクリーンルームの工事を下請受注し施工させていただいております。 それから暫くして「公共水処理」と「東芝工場」の受注が続き、車の両輪のように廻り始めます。
動き始めた「東和電気工事」 創業メンバーが無我夢中で業務をこなしていた姿が目に浮かびます。
30数年が経過して
2004年10月20日、台風23号が但馬地方を襲いました。 建設当時から工事に携わり、以来毎年増改築工事で伺っていた豊岡市の下水処理場が円山川の破堤により水没し水処理ができなくなりました。 異常気象と言われ始めていましたが、このような規模の災害現場は初めてでした。 東芝建設技術部門の指揮の元、関係会社が集まり大規模な災害復旧工事が始まりました。 工事は約1年半かかりました。ある程度の目処が立ったころ、先代社長が病に倒れて亡くなりました。両輪の内、「東芝工場」は国産のブラウン管や蛍光灯と共に規模が縮小されていきました。もう一つの車輪である「公共水処理」は入札に条件が付き、地元志向に変わっていきました。暗中模索の日々が続き、創業時とは違った意味で無我夢中でした。
50周年を迎えた今
系列会社からいただいていた工事注文書を本社より直接いただくことも多くなりました。 近年はそういった書類の中に注文請書が混じるようにもなりました。 その後災害は姫路市内でも発生し、何度となく緊急対応をし復旧作業に従事しました。 被災状況を目の当たりにしてきた中で、弊社の身の丈に合った社会貢献は出来ないかとの思いから、ひょうご震災記念21世紀研究機構に継続的に寄付をさせていただくようになりました。 50周年を迎えるにあたり、それにふさわしく記念となることはないかと考えていました。 2022年の春にラグビーリーグワンの試合(東芝VSクボタ)を秩父宮で観戦しました。 元々応援していた東芝府中ラグビー部は東芝ブレイブルーパス東京株式会社となっていました。その際に一企業として同チームを応援するパートナーになれるというお話をいただきました。「これだ!! これなら東芝さんとラグビーに恩返しができる」と思い立ち実行しました。